シュウのゲームとの馴れ初め
覚えている限りで、私がデジタルゲームに触ったのは幼稚園の頃です。学研のLCDゲーム『南極物語』が初めてだったと記憶しております。
南極物語(画像お借りしました)
主役の犬(太郎?)があざらしの頭に石を落として殺し、肉にして仲間の犬(次郎?)に与えるという弱肉強食を体現したゲームでした・・・流石学研、知育が過ぎる❗️
当時の私は意味もわからず遊んでいた訳ですが、幼稚園児が出来るはずもなく・・・それでも楽しかった思い出です。
つまり、ゲームはやり方がわからなくても子供は楽しめる❗️クリアできなくても良いのだと体験談から断言できます。
1982年生まれの私は1983年に発売されたファミコンには小学生になるまで触れませんでした。
そもそも任天堂のゲーム&ウォッチが流行ってた時分に学研のゲームを買ってくる父です。その父がファミコンを買うわけがありません❗️
彼が手にしたのはツクダオリジナル製『オセロマルチビジョン』でした・・・
オセロマルチビジョン(こちらも借り物の画像)
これは父がポリシーから任天堂に手を出さなかった❗️❗️・・・のではなく、どうにも機械に疎かったらしくて、適当に買ってきてしまったようです(>人<;)まだ30代前半だったはずなのに・・・
とは言えゲームハードというもの自体が初めて日本に出てき始めてた頃なので仕方ないといえば仕方ないです。
そして満を持して買ったはずの『スーパーマリオブラザーズ』が出来ず、ハード本体に内蔵されていた『オセロ』ばかりやる日々でした・・・
そんな父も私が小学1年生の頃にようやく『ファミコン』を手に入れます❗️子供ながらに色んな電気屋さんに探しに行く父の姿の記憶があります。車で走っては電気屋に行き、『ファミコン』がなくて次のお店に行く。昼から出て夜遅くまで探していたように記憶しています(´;ω;`)
しかして、ついに『スーパーマリオブラザーズ』をプレイできる環境を整えた父は息子の私にゲーム機を奪われましたとさ。
初めてやった『スーパーマリオブラザーズ』
記憶は定かではありませんが、初期の頃にあったゲームは『スーパーマリオ』『クルクルランド』『アトランチスの謎』『ゴルフ』『チャレンジャー』『ドラゴンボール神龍の謎』『グラディウス』『プロ野球ファミリースタジアム』あたりだったと思います。
毎年買ってた宝くじで千円以上の当たりを見たことがないほどにハズレを引くことに定評のある父にしてはクソゲーを引いてない印象です。(父の博才の無さのお陰で私はギャンブルに手を出すことがなかった)
その後も『スーパーマリオブラザーズ3』『くにおくんのドッヂボール部』『ロックマン2』『忍者龍剣伝』『ファンタジーゾーン2』とむしろ名作と名高いソフトを遊んでいた記憶があります。
更に父の同僚の方から頂いた『ドラゴンクエスト3』はレベル99のオレツエー付き!子供が喜ばないはずがありません❗️
『ドラクエ3』すごくワクワクして遊んでいた
それこそデータが吹き飛ぶまで遊び、親に怒られる日々が続きました。
そして、データが飛んだことによって初めて最初から全クリしたゲームもまたこのドラクエ3だったと思います。
小学1年生の私ではアクションゲームは上手くできなかった。しかし、レベル99の勇者で旅をしていたわたしノウハウが出来ていた❗️これなら行ける・・・訳もなく、最初のダンジョンであるナジミの塔がなんだか恐くて進めもしなかった。おそらく初めて全クリしたのは小学3年生あたりではないでしょうか?
その頃には『コナミワイワイワールド』『ジャイロダイン』『ゾイド2ゼネバスの逆襲』『ワギャンランド』『ファミコンジャンプ英雄列伝』『SDガンダムワールドガチャポン戦士2カプセル戦記』などが揃っていたと思います。
因みに買えるのは誕生日やクリスマス、祖父が遊びにきた時だけというお決まりのタイミングでした。
ゲームへの入り方としては最初はともかくとして、それなりに王道を辿っていたと思います。なので、好きなソフトもそれなりに王道です。
しかし、私がまずかったのはガチハマりした事でした・・・これによりオタク道を進み始めたのです。
以上がゲームとの馴れ初めです。
次回はアニメとの馴れ初めでも書いていこうかと思います。
読んでいただきありがとうございましたm(_ _)m